中学に入り、2度目の不登校の娘。
親友って呼べる友達が作れなかった。
苛められてるわけじゃ無いけど、二人組を作るといつも一人だけ余ってしまった。
娘の経験したことを誰にも理解してもらえず、さびしかったろうと思う。
私が理解してあげれば良かったのは解っているが。。
中3になって早々、教室にも入れない状況なのに、
修学旅行に誘われている。先生から。
思い出になるからと。。
「ねぇ、思い出ってわざわざ作るものなの?
私は、忘れたくないことも、友達も忘れちゃった。
私が、望んだわけじゃないのに、さよならも言えずに会えなくなってしまった。
おかあさん、思い出って作るもの?私は、そう思わない。」
と娘。
小学校卒業時、娘の体験をクラスで話してと担任から頼まれた。
大丈夫だと思って話し出したが、クラスメートの質問は直接的すぎて、
娘は本人も自覚できないまま、傷ついた。
「お母さん、私の想いでは誰にも解ってもらえないし、
私の思い出は、ここの人達にとっては、単なる興味でしかないんだよ。」
と娘。
思い出は作ろうとして作るものじゃないとお母さんも思う。
きっと、もうすぐ、貴女の体験を理解は出来なくても、
認めてくれる人達と出会えるときが来るよ。
学校へは、行ってなかったけど、貴女は確かに成長したもの。
お母さんは、そう信じているよ。
私設のフリースクールも登校と認めてほしいですね。
5月、暑くなってきましたが、風は爽やかに吹いていますね。
お二人の日々の心地よさ、お祈りしています。
ナル先生、ありがとうございます。
大き過ぎる出来事は、
大人でも言葉には出来ないことがありますよね。
学校って、
[言葉で説明する]事に拘りが強い気がします。
子供は、理由を問い詰められ、無理やり説明を迫られれば、とりあえずの理由を口にするでしょう。
その結果、本当の自分の気持ちを、自分自身でさえ気付く余裕もなく、追い詰められて行くんだと思います。
残念ながら、
今の学校には、不登校の子供を元気付ける要素はなく、ノウハウは皆無だと思いますね。
また、教師にそんな余裕も無いのが現実だと思います。
ならば私設のフリースクールでも、
登校に認めてほしいです。
心って傷つきすぎると閉ざしてしまうのだろうな・・。
せめて閉ざして守るのだろうな、そんなふうに感じました。
大きすぎる出来事だから幼い人たちには過酷すぎて、経験した子どもたちは言葉になりにくく、経験のない子どもたちには想像が及ばないのかも知れません。
りんごさんは力強い港だもの、小さな船はそこでゆっくりやすんでいるね。